泉和幸先生のご紹介
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我々に企経会で何度も多岐に渡る事をお教え頂いた泉和幸先生が令和3年9月9日(重陽の節句)の9時4分に逝去されました。
泉先生には、企経会発足のきっかけを作って頂き(数年に渡って勉強会を始めよ!と説得されました)開講後も半年に一度、幕末以降の近代史における世界と日本、軍閥といった内容に加えて現代の世界覇権を巡る政産軍複合体の実態を詳しくご講義頂いた事は皆さんも強く印象に残っている事と存じます。
泉 和幸先生は昭和5年1月11日に東京でお生まれになり、当時の最高峰の陸軍幹部養成学校である東京陸軍幼年学校に進まれ15才で終戦を迎えられました。その後、代用教員を務めた後に広島大学文学部哲学科を卒業され、産経新聞社に入社とそれ迄とは真逆のマスコミの世界に入られます。大阪本社編集局から、広島支局、呉支局、大阪新聞部、東京本社販売局企画開発部を経て、大阪新聞社編集局担当部長に就任。1979年に退社し81年にフォーラム泉事務所を立ち上げられました。翌年には月例の中小企業オーナー・異業種交流会「21の会」を発足されています。
時事問題の解説やゲストスピーカーの講演と共に異業種交流の会を毎月開催
この異業種交流会は当時関西では最大規模でした。毎月、時事問題の解説やゲストスピーカーの講演と共に異業種交流の会を行っておられました。89年には「中国古典塾」を始められ、95年には「昭和史研究会」、98年には次期経営者の会である「ユース21」を2年間限定で行われました。この勉強会は先生が一番力を入れられた一番厳しい帝王学を学ぶ会で、企経会メンバーも数人参加され、私は助教として参加させて頂きました。メンバーの誰よりも一番叱られたのは私だったと記憶しています。
また、96年には「なにわあきんど塾」の10期生であったメンバーがその後も勉強会を行おうと言う事で、発起人の働きかけで泉 和幸先生に講師を依頼して始まったのが第一木曜日に一目置かれる人物を目指した「一木会」です。
その後、21世紀になり「21の会」を発展解消し懇親会の無い本当に勉強したい人だけが集まる「ゼミ大阪21」を発足、その後体調を崩された事もあり「寺小屋」という30名限定の勉強会を行われました。この間、沢山の勉強会を並行して行われながら、経団連から老人会まで多彩で多忙な講演活動や日経ビジネス等への寄稿、NHK総合テレビの「西日本経済ウィークリー」等にも経済評論家として出演されていました。
多くの書籍も遺して下さいました
多くの書籍も遺して下さいました。大阪新聞在籍当時の中小企業を紹介するコラムをまとめた「勝機」には多くの勉強会参加企業の紹介を始め、規模は小さくともピリッとした会社を紹介して下さいました。北新地新聞の要請で連載されていたものをまとめた「歴史華やぐ女たち」は中国古典に登場する女性に焦点を当てたもので、この書籍の挿絵は、当時毎日新聞社在籍の横田詩輝さんが、歴史考証を踏まえた見事な色添えをしています。また「逆境に道あり」はタナベ経営が発刊する月刊誌イーグルに連載された「古典は叱る」を加筆修正したものですが、古典の事例を引きながら人として経営者として如何に処すべきかを教えて下さっています。また、皆さんご存じの飲食チェーン「情熱ホルモン」等を展開した川辺清氏の生涯を綴った「五円玉人生」や他にもいくつかの書籍を著しています。
講演の講師を紹介する企業のサイトには以下のように先生の事を述べていました。
「時代の動き、ニュース報道・解説の裏に流れる構図分析を追及し、現実処理に迫る評論家。永年にわたる新聞社勤務の経験から、ジャーナリスト特有の状勢分析技術を身につけたスペシャリストとして、内外問題から企業経営、社会・家庭問題に至るまで多方面に一石を投じる。特に、気に臨みて変化を好機とする経営哲学の妙に迫る論説には定評がある。また、歴史や人物を経営の視点から考察することを得意とし、言葉と言葉の間に秘められた機微を掘り起こし、具体的・現実的に評論することにかけては他の追随を許さず、洞察力・先見力の面でも優れている。」
というふうに紹介されています。
圧倒的な知識をベースとした洞察力を持った分析力と共に大迫力の講義
泉 和幸先生の講義を聴かれた方は、その圧倒的な知識をベースとした洞察力を持った分析力と共に大迫力の講義、スパイラル話法というあっちこっちに行っているように感じて最後は本論に戻ってくる講義スタイルに初めて聴く人は度肝を抜かれていました。また、多くのレジュメを詳細に用意して下さいながら、それらを全く見ないで3時間4時間という長丁場の講義をして下さいました。私は泉 和幸先生のほとんどの勉強会で学ばせて頂きました。おそらく四半世紀に渡って数百回以上の講義を受けていると思います。ユース21の卒業研修であった北京では当時在中国日本大使館で政治部長を務めておられたご長男である泉 裕泰氏から当時の中国情勢を伺い、上海総領事に就任されていたときに訪問した上海、蘇州、一木会メンバー達とご一緒した上海・浙江省の旅なども思い出深いです。泉裕泰氏はバングラデシュ特命大使から日本台湾交流協会台北事務所長を務めてられました。
我々に物事の本質を見抜く事の大切さを教えて下さったと感じています
泉 和幸先生には本当に多岐に渡る事を教えて頂きました。当初全く分からなかった中国古典に日本の古典の数々。昭和史研究会では詳細にわたる解説を頂きました。それらの近代史に加えて西洋哲学、時事問題における国際情勢にまつわる政産軍複合体の動きや、国際金融資本の歴史と現代の動きに加えて、各企業の思惑や新たな技術進歩と各社、各国の思惑、国内政治情勢やマスコミの実態などを教えてくださいました。
古い事を沢山知っている、最新情報ならお任せという方は居ますが、泉 和幸先生は三千年ぐらいのスパンで新旧の事象を駆使しながら我々に物事の本質を見抜く事の大切さを教えて下さったと感じています。
泉 和幸先生との関係は濃淡があると思いますが、企経会が発足するきっかけを作って下さり、また企経会でも多くの講義を通じて学ばせて頂きましたので、皆さんに先生の事績を紹介させて頂きました。
永らく様々な事をお教え下さった泉 和幸先生に心からの感謝とご冥福を祈念申し上げます。そして先生は我々の心に何時までも手厳しく見守って下さっていると確信しています。